父が死んだというおはなし
始めに
断っておきますが、この文は父が死んだ時に僕が感じたことを形にして置いておきたくて、あわよくば公開してみようというと思って感想を率直に書き散らした物なので、不愉快な表現があるかも知れません。気に入らなかったら読まないほうが良いと思います。
本文
学校に行く準備をいそいそとしていたら、唐突に別居中の父のヘルパーから電話がかかってきた。
「訪問介護に来たら返事がなかったのでベランダから入ったらお父さんがトイレで倒れていました。意識はありますが、昨日から動けなかったそうです。」その後すぐ運ばれた病院の連絡先を聞いて電話をした。「色々検査をしたら脳出血だとか心臓だとかの異常は見られなかった。脱水症状から転倒して、衰弱していたので立ち上がれなかっただけ。しかしもしかすると後遺症が残ったり、延命処置を考える場合もあるかも知れない。」
万が一の場合もあるが、概ね症状は軽いものだと思い、少し安心した。見舞いに行こうとしたら「コロナの影響で面会は一切お断り」と断られたのでそのまま学校に行った。
授業が終わって帰路に着くと、再び病院から電話がかかってきた。「看護婦が様子を見に行ったら、お父さんの呼吸と心臓が止まっていた。30分以上心臓マッサージをしているが、回復の見込みがないので辞めてもいいか。」家族に対して随分薄情な物言いだなと憤ったが、あまりにも不躾すぎて半笑いになりながら「いや一応マッサージは続けといて欲しいんですけども笑」と伝え、母にもその旨を伝えて1時間後に病院に着いた。
病院に着くと、物々しい応接間に通されて、当直の医師と看護師長が入ってきた。病院に運ばれてからの経過や、診断などを話された。心臓や脳などには問題は見られなかった。正式な死因が分からないため、警察が介入して検死を行い、判定は法医学の診断待ちだそうだ。意識がずっと朦朧としてたり、食事は摂ってなかったり、ところどころ昼の電話で聞いていた情報とは食い違う箇所があった。意識ははっきりしてるなら大したことはないかと思っていたが、そうではなかったんじゃないか。
病床で本人と対面したいと願ったが、コロナ禍につき面会一切謝絶と断られた。コロナ禍の中僕の周りには感染者がいないので、コロナ禍とはなんぞやと思っていたが、ここで初めてコロナ禍の影響を思い知った。霊安室でなら対面可能とのことで、死亡判定の後霊安室に運び込まれるのを待つ。
約10分後、霊安室に案内された。よく漫画やドラマなどで、死体を『変わり果てた姿』と表現される度「ただ目を閉じてるだけじゃん」と心の中で反論していたが、そして父の姿も寝ているだけの姿だったが、しかし本当に変わり果てた姿に見えた。明らかに尋常ではない姿だ。
母は父を見た瞬間感情が溢れて父に縋りついていた。僕は周りに感情をあらわにしている人がいると逆に冷めてしまう性質だったり、そもそも父には頻繁に会いに行ってたが、それでも10年近く別居していたから愛着が離れていたのかもしれないとか、そもそも僕が人の死を受け入れられるほど成熟していない幼い人格だとか、色々な理由があると思うが、あまり悲しさを感じられなかった。親の死でもあまり心が動かない自分を軽蔑する。思えば頻繁に父を訪ねていたのも、ただ家族ごっこをして、自分は父を大事にできる暖かい人間だと思い込みたかっただけなのかもしれない。
以前大叔父の葬式に出た時も思ったが、死体はただ寝ているだけのようにしか見えない。しかし明らかにもう生きていないのがわかる。『人間に近い姿をしているが人間ではないもの』に強い嫌悪感を感じる『不気味の谷』というものがあるが、僕は死体にまさしくそれを感じる。大叔父の葬式の時も、大叔父が今にも動き出しそうな、『人間に似てるが人間ではないもの』に見えて強い恐怖と嫌悪感を感じていた。つまり、より強い言葉を使って率直に表現すると、自分の父の死体は、僕にとっては人間ではなく、虫の死骸かなにかにすら見えていた。自分の肉親の死体を無感情に虫や何かに例えるような僕自身こそが虫か爬虫類のような、人間ではないよう何かに思えて仕方がない。
看護婦長が出て行って3人の空間だけになり、母は泣いて父に縋り付いている間、僕は霊安室を見渡した。薄暗い部屋。キャスターがついた安っぽいベッド。四隅がほつれている割に豪華とした装飾がついていて、それがやけに浮いている掛け布団。そして炎の形をした電球が光る仏壇。悲しいほどに粗末な霊安室だ。金がない生活保護受給者は死ぬ場所さえ選べないし、こんな所で弔われるのかと寂しい気持ちになる。
ひとしきり母が泣き終わった後、今度は僕が父と対面した。一番最初に気になったのは、父の方があんぐりと空いていることだ。看護婦長がいる時に、口は閉じないのかと聞いたが、総入れ歯だから口が閉まらないそうだ。無理に閉じようとすると痕が残って、検死の時に不都合があるらしい。口の中を覗くと、ずっと口が空いているので舌の根がカラカラに乾いている。そして鼻の横の皮膚が薄いところには、もう既に血管が紫色に浮き出て死斑のようなものが出ている。それと、目脂がひどく溜まっていたので掃除してあげた。顔をひとしきり撫でたり、抱きついてみたりした。呼吸や脈を見ると、当たり前だが何も動いていない。しかし、体を触っていると、自分が脈打つ感覚が反射されて、まるで父が脈打っているように感じられた。
父の身体に抱きつきながら、父がここに来るまでの過程に想いを馳せる。独居老人特有の汚いユニットバストイレから立ち上がろうとすると、脱水で倒れてヘルパーに発見されるまで真夏日のトイレの中に丸一日そのままの姿勢で身動きがとれなくて衰弱していったんだなあ。
満足したので霊安室から出た。看護婦長を呼びに行く。再び霊安室に戻って末期の水と線香を上げた。人間には見えなかった父も、こうして末期の水を上げたり線香を上げる儀式をすると、ようやく人間に見えたような気がした。
顔に白い布をかける時に看護婦長が「最後に会えてよかったなあ❗️いい息子さんと嫁さんもてて幸せやで❗️もう帰るけどいいねんなあ❗️」と父に呼びかける。煽ってるのかと本気で怒ろうか迷ったが、そんな雰囲気でもないし、元気もないから辞めた。大したことではないので書いてないが、彼女は他にも粗忽者なところがあったり、しゃしゃり出てきてたりしていた。
本筋から外れるが、病院を出てからも、なぜやたら彼女はあんなにしゃしゃり出てきてたのかを考えていた。緊急の患者が来た時に看護師が出来ることはほぼないと後で知り合いから聞いて、成果を上げてない人ほど自分の存在を大きい声で主張するように、自分は何もできなかった負い目を感じてあんなにしゃしゃり出てきてたのかなと一応の結論を出した。
病院を出た後、父が住んでいた部屋に行き、生前教えられた財産を隠している場所を探したら、21万円が入っていた、これが父の全財産だった。それを持ち出したら、後日警察から電話がかかってきた。父の死因が未だに不明なため、事件性がないか警察が介入しているため、盗難や現場保存違反にあたる恐れがあると怒られた。当時母は悲しみに浸って家探ししようと言って聞かなかったが、僕は警察が介入しているからそれはまずいんじゃないかと思ったが、まあいいかと軽く考えていた。